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ブルジョアさっかのファッショかについて
ブルジョア作家のファッショ化に就て
宮本 百合子
「時事新報」1932(昭和7)年1月28~30日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,808 字 · 8 页
と自身のファッショ化期限を決めている。この直木の態度と犬養健の態度との間には何処やら共通の一応の悧口さと基礎的な愚さとがある。
犬養健も『白樺』へ小説を書いていた時は、人道主義的作家であった。ところが大人になるにつれて人道主義のヤワイ(柔い)ことが判って来た。中途半端な人道主義はイザと云う時、役に立たないと云うことを知ったところは犬養健の部分的な賢さだが、人道主義を清算して親父の秘書となって政友会に納まった所に、彼の決定的な階級性の暴露と見透しのきかないブルジョア・イデオロギーの具体化とがある。直木も似ている。右や左に気兼ねをして、然もどんな実践力も示さない未組織インテリの態度に歯かみをした所まではいいが、ブルジョア才人は才に堕して、彼の「青春行状記」に現われた直木的科学万能論と共に、六方を踏みながらファッショの陣営へ乗り込んだ。
「俺は何んにでもなってやる」と云いながら決してコムミュニストにならずファッシストになったところに実に津々たる興味がある。何んにでもなれるのではない、ファッシストにしかなれないのだ。然も一種の世間師だから期限付のファッシストを宣言したところ思わず人を哄笑させる。