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ヘヤーピンいっぽん

ヘヤーピン一本

豊島 与志雄

「人間喜劇」1948(昭和23)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,246 字 · 17 页

青空文庫

手紙が書けないものだから、口頭で礼を言いに来たんだ。」

毒舌でも吐かなければ、腹の虫がおさまらなかったのだ。ほんとうは、なにかしら悲しく苦しかった。

俺も岩木も、ちと気持ちが乱され、そして酒を飲んだ。酔いが廻るにつれて、娘のことなど忘れてしまった。それからまた、いろいろなことを話し、いろいろなことを論じた。夜になって、岩木は俺を駅まで見送ってくれた。こんどは東京で逢おうと約束した。人生はつまらんものだと二人は同意した。汽車が動きだすとすぐ、岩木は歩み去ってゆく。俺は空席を見つけて、そこに深々と腰をおろし煙草を吸った。ポケットの中には、紙にくるんだヘヤーピンがあった。ああそのヘヤーピン一本、顔を見せないで手先だけの無償の親切、それがいちばんすっきりと俺の心に残ったのである。