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マクシム・ゴーリキイのひとおよびげいじゅつ
マクシム・ゴーリキイの人及び芸術
宮本 百合子
「婦人公論」1933(昭和8)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,075 字 · 30 页
に請願のため行列して行った民衆は、冬宮を背にして並んだ兵士の発砲によって千数百の労働者がたおれた。その前、ゴーリキイはこの労働者に対する射撃を防ごうとして他の同志とともにウイッテと会い、熱心に談判したがきき入れられなかった。ツァーの砲火の下に罪なく無智な労働者、女、子供の血が雪を染める間、ゴーリキイは大衆に混ってこの歴史的殺戮の証人となった。戦慄すべき記録「一月九日」はかくて書かれた。引きつづいてロシアの各地に勃発した人民殺戮に対する抗議のストライキの間、ゴーリキイは正義の擁護者としてきわめて具体的な活動を行った。
それを理由として政府はゴーリキイをペテロパーヴロフスク要塞にぶちこんだ。政府はロシアばかりか外国でまで行われたゴーリキイ死刑反対の大示威運動におどろいて、余儀なく釈放したのであった。
不幸なロシア人民の解放運動資金を集めるためにゴーリキイは次の年アメリカへ講演旅行に出かけた。ツァーの秘密警察は手を廻してゴーリキイについての醜聞を流布させ、その計画を妨害した。ゴーリキイの肺病はこれらの激しい活動の間に悪化して来た。アメリカからの帰途イタリーのカプリ島により当分そこで静養することにし、一九一三年ロマノフ王家三百年記念の大赦によってロシアにかえるまで八年間カプリに止った。