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マクシム・ゴーリキイのひとおよびげいじゅつ

マクシム・ゴーリキイの人及び芸術

宮本 百合子

「婦人公論」1933(昭和8)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,075 字 · 30 页

青空文庫

「――えい! 悪魔め――ゴム靴をはいてやがら!」

ゴーリキイはこの時すでに彼自身の表現によれば「マルクス主義者に近い」者となっていた。当時三十三歳であったゴーリキイより二歳年下のレーニンは妻クループスカヤとミュンヘンにいて社会民主党の全国的新聞『イスクラ(火花)』を出すために活動し、有名な「何を為すべきか」を書き上げた頃である。ゴーリキイは「小市民」、「どん底」と続けて戯曲を書いた。ゴーリキイといえば「どん底」と応ずるくらい世界に知られた傑作であるが、この戯曲の成功によって得た金で彼は「ズナーニエ」というペテルブルグの出版書肆を買いとった。恥を知らぬツァーの政府の言論と出版の自由の抑圧に抵抗する進歩的な書肆が必要であったためである。

一九〇四年のメーデーは、日露戦争開始によって特別の意味をもつものであるが、その時のビラを書いたのは外ならぬゴーリキイであった。翌一九〇五年一月九日の日曜日、歴史の上で有名になった「血の日曜日」に、聖旗をかざした女子供を先頭とする約十万の民衆が、日露戦争の終結、政治的自由の保証、パンと職とをツァーに求めて冬宮広場に進んだ時、ガポン僧正の裏切りによって、聖像を先に立てて「父なるツァー」