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マクシム・ゴーリキイのはってんのとくしつ

マクシム・ゴーリキイの発展の特質

宮本 百合子

「改造」1936(昭和11)年8月臨時特大号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,694 字 · 33 页

青空文庫

ゴーリキイ自身がこのように感覚的に、而も彼の持前である鋭い、生活的な観察、熟考に裏づけられつつ、既成の文化から、発展的なものを吸収して行ったと思われるのである。

一八九八年、社会民主労働党が結成された年、既に「光栄の峰」へ向いはじめていたゴーリキイは政治的活動をしたという理由で逮捕された。「小市民」の上演が禁ぜられ、「どん底」でゴーリキイの名は世界的になっていた。そのおかげで、一九〇五年のかの日曜日の後、ペテロパヴロフスクの要塞監獄に投獄された彼が命を全うしてイタリーへ政治的移民として住むことが出来たのであった。

ほぼ二十五年に亙るレーニンとの友情が結ばれたのは一九〇七年のことであった。「母」を書いて後、「敵」がもう数年前書かれているのに、マクシム・ゴーリキイが一九〇八年から三四年の間にはいろいろ動揺して、召還主義の連中とカプリの労働学校を創立したり、創神派の弁護者としてレーニンに彼らとの妥協を求めたりしたことは、我々の注目をひきつける。この時代ゴーリキイは、ロシアを離れていたことからも一九〇五年後の民衆の成長のテムポと方向とを十分掴めなかったと同時に、今日の目で観察すれば、彼は或る意味で「私はそれを知っている」