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ウィタ・セクスアリス

ヰタ・セクスアリス

森 鴎外

「昴」1909(明治42)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,941 字 · 119 页

青空文庫

お父様は藩の時徒士であったが、それでも土塀を繞らした門構の家にだけは住んでおられた。門の前はお濠で、向うの岸は上のお蔵である。

或日お稽古が済むと、お母様は機を織っていらっしゃる。僕は「遊んでまいります」という一声を残して駈け出した。

この辺は屋敷町で、春になっても、柳も見えねば桜も見えない。内の塀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の側の臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。

西隣に空地がある。石瓦の散らばっている間に、げんげや菫の花が咲いている。僕はげんげを摘みはじめた。暫く摘んでいるうちに、前の日に近所の子が、男の癖に花なんぞを摘んで可笑しいと云ったことを思い出して、急に身の周囲を見廻して花を棄てた。幸に誰も見ていなかった。僕はぼんやりして立っていた。晴れた麗かな日であった。お母様の機を織ってお出なさる音が、ぎいとん、ぎいとんと聞える。

空地を隔てて小原という家がある。主人は亡くなって四十ばかりの後家さんがいるのである。僕はふいとその家へ往く気になって、表口へ廻って駈け込んだ。

草履を脱ぎ散らして、障子をがらりと開けて飛び込んで見ると、おばさんはどこかの知らない娘と一しょに本を開けて見ていた。