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ここのつのかぎ

九つの鍵

野村 胡堂

「少年時代」1949(昭和24)年1月~4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,349 字 · 42 页

青空文庫

この時愛子の体は、地上を離れて、一尺、二尺、三尺と急速に空に引き上げられているのです。

何心なく口笛などを吹きながら、一と足先きに行った兄の三郎は、妹の悲鳴に驚いて振り返った時は、愛子の体はもう五六尺上に釣られて、その銀ねずみ色のコートの下から、赤いドレスの裾が、火にあおられた焔のようにひるがえっているではありませんか。

「あッ、待てッ」

三郎はわけのわからぬ事を叫んで飛びつきました。が、手につかんだのは妹の左足の靴の踵だけ、それがスポリと脱けて、舗道の上に尻餅をつく間に、愛子の体は蜘蛛の糸にかかった美しいトンボのように、街灯の上でキリキリと廻りながら、高く、高く宙に釣り上げられて行くのでした。

あまりの事に、三郎は大きい声で助けを呼ぶことさえ忘れておりました。助けを呼んだところで、この辺一帯にすさまじい焼跡で、十時過ぎはめったに通る人もなく、交番も遠い上に、近所には人の住みそうな家もありません。

ビルディングは三階の鉄筋コンクリート建焼けビルを修理したらしい、きわめてありふれたものですが、その屋上の突き出した庇から、一本のたくましい綱が、愛子の体を引き上げていることだけはわかりました。