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ふたつのにわ

二つの庭

宮本 百合子

「中央公論」1947(昭和22)年1、3~9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,492 字 · 389 页

青空文庫

原稿の綴じたのをよみ直す気配がした。

「ぶこちゃん――いるかい?」

「いてよ」

「この、手紙の終りにいつもついてる、誰それにお辞儀して下さい、って文句ね、直訳だとそうしかいいようがないんだが、何だかしっくりしない」

チェホフは病気で、晩年はヤルタにばかり暮していた。芸術座の主役女優であった若い妻のオリガは演劇のシーズンの間はモスコウに暮した。チェホフはその妻に、実に親切に俳優勉強のための忠言を与え、良人としての励ましを与える手紙をかいた。チェホフらしく、感情に誇張のないユーモアと、父親のような愛と、芸術家の気骨の湛えられているそれらの書簡は、素子の気に入って、すでに一年近く翻訳にかかっているのであった。

「日本流にいえば、よろしくってわけだろうが……」

「でもただ、よろしくじゃ口のさきだけのようね。お辞儀するっていうロシアの人らしい動作の面白さがうつらないわね」

伸子は、一月頃築地小劇場ではじめて見たゴーゴリの「検察官」の舞台のおもしろさを思いおこした。あの舞台はなんと明暗がこくて、新鮮で、印象深かったろう。

「――よわったな……」

こちらの部屋で伸子も机につき、最近書き終った長篇小説の綴じ合わせをよみはじめた。