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じんせいろんノート

人生論ノート

三木 清

下記以外「文學界」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月<br>個性について「哲學研究 第五十二號 第五卷 第七册」京都哲學會、寶文館、1920(大正9)年7月1日<br>後記「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月11日<br>旅について 不詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,023 字 · 143 页

青空文庫

かようにしてあらゆる文化について、娯楽的な対し方というものが出来た。そこに現代の文化の堕落の一つの原因があるといえるであろう。

現代の教養の欠陥は、教養というものが娯楽の形式において求められることに基いている。専門は「生活」であって、教養は専門とは別のものであり、このものは結局娯楽であると思われているのである。

専門という見地から生活と娯楽が区別されるに従って、娯楽を専門とする者が生じた。彼にとってはもちろん娯楽は生活であって娯楽であることができぬ。そこに純粋な娯楽そのものが作られ、娯楽はいよいよ生活から離れてしまった。

娯楽を専門とする者が生じ、純粋な娯楽そのものが作られるに従って、一般の人々にとって娯楽は自分がそれを作るのに参加するものでなく、ただ外から見て享楽するものとなった。彼等が参加しているというのはただ、彼等が他の観衆とか聴衆の中に加わっているという意味である。祭が娯楽の唯一の形式であった時代に比較して考えると、大衆が、もしくは純粋な娯楽そのものが、もしくは享楽が、神の地位を占めるようになったのである。今日娯楽の大衆性というものは概してかくの如きものである。