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じんせいろんノート

人生論ノート

三木 清

下記以外「文學界」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月<br>個性について「哲學研究 第五十二號 第五卷 第七册」京都哲學會、寶文館、1920(大正9)年7月1日<br>後記「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月11日<br>旅について 不詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,023 字 · 143 页

青空文庫

神の怒を忘れた多くの愛の説は神の愛をも人間的なものにしてしまった。

我々の怒の多くは気分的である。気分的なものは生理的なものに結び附いている。従って怒を鎮めるには生理的な手段に訴えるのが宜い。一般に生理は道徳に深い関係がある。昔の人はそのことをよく知っており、知ってよく実行したが、今ではその智慧は次第に乏しくなっている。生理学のない倫理学は、肉体をもたぬ人間と同様、抽象的である。その生理学は一つの技術として体操でなければならない。体操は身体の運動に対する正しい判断の支配であり、それによって精神の無秩序も整えられることができる。情念の動くままにまかされようとしている身体に対して適当な体操を心得ていることは情念を支配するに肝要なことである。

怒を鎮める最上の手段は時であるといわれるであろう。怒はとりわけ突発的なものであるから。

神は時に惨めな人間を慰めるように命令した。しかし時は人間を救うであろうか。時によって慰められるということは人間のはかなさ一般に属している。時とは消滅性である。

我々の怒の多くは神経のうちにある。それだから神経を苛立たせる原因になるようなこと、例えば、空腹とか睡眠不足とかいうことが避けられねばならぬ。