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じんせいろんノート

人生論ノート

三木 清

下記以外「文學界」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月<br>個性について「哲學研究 第五十二號 第五卷 第七册」京都哲學會、寶文館、1920(大正9)年7月1日<br>後記「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月11日<br>旅について 不詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,023 字 · 143 页

青空文庫

すべての情念は、最も粗野なものから最も知的なものに至るまで、感傷の形式において存在し乃至作用することができる。愛も感傷となることができるし、憎みも感傷となることができる。簡単にいうと、感傷は情念の一つの普遍的な形式である。それが何か実体のないもののように思われるのも、それが情念の一つの種類でなくて一つの存在様相であるためである。

感傷はすべての情念のいわば表面にある。かようなものとしてそれはすべての情念の入口であると共に出口である。先ず後の場合が注意される。ひとつの情念はその活動をやめるとき、感傷としてあとを引き、感傷として終る。泣くことが情念を鎮めることである理由もそこにある。泣くことは激しい情念の活動を感傷に変えるための手近かな手段である。しかし泣くだけでは足りないであろう。泣き崩れなければならぬ、つまり静止が必要である。ところで特に感傷的といわれる人間は、あらゆる情念にその固有の活動を与えないで、表面の入口で拡散させてしまう人間のことである。だから感傷的な人間は決して深いとはいわれないが無害な人間である。

感傷は矛盾を知らない。ひとは愛と憎みとに心が分裂するという。