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さっかときょうようのしょそう

作家と教養の諸相

宮本 百合子

「文芸情報」第六巻、1940(昭和15)年5月下旬号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,291 字 · 9 页

青空文庫

この問いに対して作家の答えはたやすくは与えられまいと思う。作品として表現し得るか得ないかという外的な条件の限度を、作家として本質的な現実把握力としてこの教養の限度と自分からきめて、そこで馴れ合っているということは見られないだろうか。

歴史の或る時期に文化は本質に停頓しつつ、文学の購買力は高騰することがある。作家は、後者と自分の書く腕とを現象的に結びつけて、それを文学的な創作として自分にも云いきかせている危険はどこにもないと云えるだろうか。

今日の私たちにとっては、最も厳粛な意味で、人間の教養とは如何なるものであろうかということが再び考えられなければならないと思う。そして、この場合教養と呼ばれるのは、今日ひととおり教養があるとか知性的だとか云われる文学作品の真の生活的・文学的価値を、再評価してゆく生活的・社会的洞察であり、文学的教養と云う意味は、或る作家の作品中の文句を会話の中に自由にとりいれて来ることではなくて、それらの文句の真の生命を嗅ぎわけてゆく生活力としての文学への敏感性であると思う。

ホーマーの詩の百千の句を知っていることのよろこびより、自身の世代の真の歌を、何かの形でうたいうる名のない一人の作家であることのよろこびは、何と謙遜でしかも激しいであろうか。