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ふしゅう

俘囚

海野 十三

「新青年」1934(昭和9)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,938 字 · 31 页

青空文庫

「大丈夫よオ。これッくらい……」

「もう十一時に間もないよ。今夜は早く帰った方がいいんだがなア、奥さん」

「よしてよ!」あたしは呶鳴りつけてやった。「莫迦にしているわ、奥さんなんて」

「いくら冷血の博士だって、こう毎晩続けて奥さんが遅くっちゃ、きっと感づくよ」

「もう感づいているわよオ、感づいちゃ悪い?」

「勿論、よかないよ。しかし僕は懼れるとは云やしない」

「へん、どうだか。――懼れていますって声よ」

「とにかく、博士を怒らせることはよくないと思うよ。事を荒立てちゃ損だ。平和工作を十分にして置いて、その下で吾々は楽しい時間を送りたいんだ。今夜あたり早く帰って、博士の首玉に君のその白い腕を捲きつけるといいんだがナ」

彼の云っている言葉の中には、確かにあたしの夫への恐怖が窺われる。青年松永は子供だ。そして偶像崇拝家だ。あたしの夫が、博士であり、そして十何年もこの方、研究室に閉じ籠って研究ばかりしているところに一方ならぬ圧力を感じているのだ。博士がなんだい。あたしから見れば、夫なんて紙人形に等しいお馬鹿さんだ。お馬鹿さんでなければ、あんなに昼となく夜となく、研究室で屍体ばかりをいじって暮せるものではない。