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ほくろてんのう
保久呂天皇
「群像 第九巻第七号」1954(昭和29)年6月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,034 字 · 27 页
その晩、リンゴ園の中平が保久呂湯へ降りたのは八時に二十分ぐらい前であった。「鉢の木」という謡曲をうなりながら通過するから部落の者にわかるのである。彼の家は部落の一番高いところにあった。保久呂湯は一番低いところにあった。その中間に他の九軒があって、それが保久呂部落の全戸数である。
保久呂湯は今では誰にも知られないが、昔はかなり名の知れた霊泉だったそうだ。交通機関の発達はそれに捨てられたものを忘れさせてしまうもので、みんながテクったころはどこへ行くのも同じ不便であるから、人々がこの霊泉をしたってよく集ったそうであるが、今では近在の者が稀に泊りにくるにすぎない。ふだんは部落の共同湯として利用されている。ワカシ湯であるから、燃料がいる。それは湯本の負担だが、湯本は酒タバコ菓子カンヅメその他日用品一切を商い他の十軒を顧客にしているから、夜の湯はサービスだ。
中平は畑はいくらも持たないがリンゴ園をやりだしてから部落一番の金持になった。それで「鉢の木」を覚え保久呂湯で下駄をぬぐまで謡いつづけてくるので、保久呂湯の三吉と仲が悪くなった。中平は東京へ旅行して「鉢の木」