轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

ふたたびかがくてきせいしんについて

再び科学的精神について

戸坂 潤

(「最近日本の科学論」続編)――教学に対して――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,742 字 · 23 页

青空文庫

いや今日の支配者的文化の指導者達は、みずからそこまで引き上げ、そしてそこに立て籠もるようになるに相違ない。

教学は時に宗教の形をとり、時に宗教から区別された道徳や形而上学の形をとる。宗教が神学的な形をとる時、必ず教学というカテゴリーを採用するのである。そして教学としてもっとも著しい嶄然たる特色を有つものは、東洋乃至日本の教学であったのである。そこにキリスト教神学による教学と、東洋的教学との間の、多少の相違を吾々は見出すことが出来るだろう。東洋的教学は必ずしも反宗運動や無神論運動の網にそのまま引っかかるとは思われない。東洋的教学(キリスト教教学は勿論のこと)は云うまでもなく宗教的な本質のものであり、従って反宗・無神論の批判対象となるべき本質のものであるが、その現象形態は、よく云われるように必ずしも宗教ではなくて、儒教となったり、又単なる民族的習癖としてさえも現われる。仏教が無神論であるなどという説は今採るに足りないが、併し日本仏教の大きな文化的役割は単なる信仰としてではなくて、正に教学として遂行されたものであったことを忘れてはならぬ。印度哲学や仏教に於て知識と信仰とが一つであるとか云われるのも、単に教義の上の問題ではなくて、夫の歴史的変遷に於ける教学としての社会的文化的役割の問題であったことを思わねばなら