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けんきょう

剣侠

国枝 史郎

「山形新聞」1936(昭和11)年3月~8月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 156,961 字 · 310 页

青空文庫

ところがそのつど利用したものは、他の者に利用されまいとして、残った金を別の所へ、いつも埋め代えたということじゃ。……治承四年十月の候、源頼朝が府中の南、分倍河原に関八州の兵を、雲霞の如くに集めたが、その時の費用もその金であり、ずっと下って南北朝時代となり、元弘三年新田義貞卿が、北條高時を滅ぼすべく、鎌倉に兵を進めようとし、分倍河原に屯して、北條泰家と合戦したが、その時も義貞は源氏というところから、その金を利用したという事じゃ。正平七年十二月十九日、新田義宗南軍を率い、足利尊氏を狩野河に討つべく、武蔵の国に入ったところ、尊氏すでに狩野河を発し、谷口から府中に入り、人見原にて激戦したが、義宗破れて入間川に退き、二十八日小手差原にて戦い、ふたたび破れて退いたが、この時は足利尊氏が、これも源氏というところから、その金を利用したということじゃ。更に下って足利時代に入り、鎌倉の公方足利成氏、管領上杉憲忠を殺した。憲忠の家臣長尾景晴、これを怒って手兵を率い、立川原で成氏と戦い、大いに成氏を破ったが、この時はその金を景晴が利用し、その後その金を用いた者で、史上有名の人物といえば、布衣から起こって関八州を領した、彼の小田原の北條早雲、武蔵七党の随一と云われた、立川宗恒、同恒成、足利学校の創立者、武人で学者の上杉憲実。