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なんがをかくはなし

南画を描く話

中谷 宇吉郎

「中央公論」1941(昭和16)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,968 字 · 24 页

青空文庫

その時、後の墨が前の墨膜上に拡がる速度とか、その到達する距離とか、両者の境界がはっきりつくかぼけてしまうかということは、前に墨膜を作ってから、次の墨汁を加えるまでの時間によってきまることが分っている。この実験では、墨膜は水面上に浮いているので、乾燥の問題ははいらない。それで両者の墨の融合の度合は、時間と共に墨膜の墨の実質が変化する度できまるらしい。

紙に描いた場合は、この墨膜の性質の変化と、外に前の墨が乾燥するための影響があるので、話はもっとむつかしくなる。それに濡れている間と乾いてからとの効果の著しい差が、初めのうちは見当がつかないので、大分失敗した。それでも色々やって見ているうちに、そのこつも少しはのみこめた。

螯脚の力の表現はこれで出来たとして、爪楊子のような弱々しい細い歩脚がこれと何らかの意味で釣合って、とにかく生存をつづけている蟹として完成している姿を作るには、ちょっと工夫が要りそうだった。それには一つ巧いことを思いついた。それは秦さんの所で見た蟹の絵である。

秦さんは、足利時代の墨絵を沢山集めていたが、或る時蟹を一匹描いた小品を手に入れて以来、もう外の絵はいらなくなったという執心ぶりをその絵に示していた。