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めいじんじごく
名人地獄
国枝 史郎
「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页
で、女房は溜息をした。
鼬が鼠を追うのであろう、天井で烈しい音がした。バラバラと煤が落ちて来た。
すると今度は浪人がいった。
「肩から真っ赤に血を浴びて、坐っているのは何者だ!」
そうして行燈の向こう側を、及び腰をして透かして見たが、
「ハ、ハ、ハ、何んにもいない」
空洞のような声であった。
二人はピッタリ寄り添った。しっかり手と手が握られた。二人に共通する恐怖感! それが二人を親しいものにした。
冬なかばの夜であった。容易なことでは明けようともしない。丑満には風さえ止むものであった。鼠も鼬も眠ったらしい。塵の音さえ聞こえそうであった。
と、その時、ポン、ポン、ポンと、鼓の音が聞こえて来た。
聞き覚えのある音であった。追分で聞いた鼓であった。江戸の能役者観世銀之丞が、追分一杯を驚かせて、時々調べた鼓の音だ。いいようもない美音の鼓、どうしてそれが忘られよう。
しかし打ち手は異うらしい。正調でもなければ乱曲でもない。それは素人の打ち方であった。
しかも深夜の静寂を貫き、一筋水のように鳴り渡った。
誰が調べているのだろう? 何んのために調べているのだろう? それも厳冬の雪の戸外で!