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ごせいげん

呉清源

坂口 安吾

「文学界 第二巻第一〇号」1948(昭和23)年10月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,333 字 · 11 页

青空文庫

幸い、呉氏は現れた。夜も更けて、十一時半、焼跡の奥のずいぶん淋しい不便な場所だが、どんな乗物を利用してどの道を来たのやら、まさしく風の如くに現れたのである。玄関に当って、ワーとも、キャーともつかないような女中たちの喚声があがる。その喚声を背に負うて、スタスタと座敷へはいってきた呉氏。二間つづきの座敷の入り口で、立ったまゝ、

「おそくなりました」

と云ったと思うと、うしろから、女中の声で、お風呂がわいております、と云う。それをきくと、ウサギの耳の立つ如く、ピョンとうしろをふりかえって、

「ア、お風呂。そう。ボク、オフロへはいりたい。じゃア、失礼して、オフロへはいってきます」

座敷の入り口から、クルリとふりむいて、お風呂へ行ってしまった。

翌朝、呉氏の起きたのは、おそかった。私たちは、もう食卓についている。最後にやって来て、設けの席へつこうとした呉氏、立ったまゝ、上から一目自分の食膳を見下して、すぐ女中をふりかえり、

「オミソ汁」

と、たゞ一声、きびしく、命令、叱責のような、はげしい声である。あいにく、呉氏の食膳にだけ、まだミソ汁がなかったのだ。

見ると、呉氏は、片手に卵を一つ、片手にはリンゴを一つ、握っている。