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くちびるそう

唇草

岡本 かの子

「週刊朝日」1937(昭和12)年8月2日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,002 字 · 14 页

青空文庫

彼女は、「きゃっ!」といって莢を抛り出した。

中の間との仕切りの襖が開いて、縞のブラウズを着た千代重が悠然と出て来た。手にはゴムの洗濯手套をはめている。「なんて頓狂な声です。赤ん坊が起きるじゃないか」

千代重がこんなにずけずけいうときは最も相手を愛しむ気持に充たされているときなのだ。

千代重は傍へ来て、体を曲げて栖子が抛り出した豆の莢を拾った。千代重は豆の莢の内部を近眼鏡をかしげて覗き込み、それから左の手套の水気をブラウズの腰でこすり取って、竿を眼にうけさせ、莢の破り口を逆にしてとんとんとはたいた。微かにお歯黒をつけた蚕豆の粒の一つと一緒に繊弱い豆の虫が一匹落て出た。

虫の早稲の米粒のような白い地体は薄樺色の皮膚に透けていた。口に金環色を嵌めていた。虫は拗ねるように反ったり屈んだりした。再び眼鏡を近づけて眺め込んでいた千代重の顔は、だんだん微笑に膨れて行った。千代重は蚕豆を捨てて虫だけの掌をぐいと突出した。

「可愛い虫じゃないか。ご覧なさい」

栖子は距離を作り、逃げ腰を用意して佇んでいた。突き出された掌から逃げはしなかったが、「きゃっ!」と銜み声で叫んだ。