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うそアつかねえ

嘘アつかねえ

山本 周五郎

「オール読物」文藝春秋新社、1950(昭和25)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,523 字 · 24 页

青空文庫

彼が雨戸に向って、実際におじぎをするのを、信吉は見た。そして、それからどのくらい経ってか、彼はこの情景の点睛ともいうべき声を聞いたのである。……どこかの戸がきしみながらあいた、そうして低い囁くような声で、――それは十二三の少年のもののようであったが、――こう呼びかけた。

「はいんなよ、父、……早く……」

正月も近くなった或る夜。曇った、なま暖たかいような晩だったが、信吉は「やなぎ屋」の台板へ凭れかかって、いい気持そうに酔っている松のきえんを、なんの感動もなく、聞いていた。松はすばらしい機嫌だった。彼は尻下りの眼をいからかし、右手の拳骨でなにかを殴りつけるような身振りを繰り返した。

「この阿魔、早くしろ、文句ウぬかすな、すべた野郎め、来ておれの足を洗え、……女ッてやつアこれに限るんだ、おらあこの式だ、本当だぜおやじ、女アね、女ッてやつアそれでちょうどなんだ、……嘘だと思うんなら」

信吉の唇がふるえながら歪んだ。喉がごくッとなり、鼻の奥が熱くなった。

「そうだ、そのとおりだ」彼は口の中でそっとこう呟いた、「――おまえの云うとおりだよ、松さん、いいから酔おう、……酒だけはおれたちを騙さねえからな」