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とさのくにばしら
土佐の国柱
山本 周五郎
「読物文庫」1940(昭和15)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,375 字 · 35 页
「委細かしこまり奉る」
と答えて平伏した。
四十余年、戦塵のあいだに生死を供にして来た主従が、果して何を約したのであろうか。……一豊はそれから数日の後、慶長十年九月二十六日に死んだ。
其日、一豊は死に臨んで世子の忠義(一豊に子が無かったので、弟修理亮康豊の子を養嗣子とした)を呼び、列座の老臣に後事を託したのち、特に言葉を改めて、
「斧兵衛は我が家にとって、功労抜群の者である。老年であるから我儘の振舞いもあろうと思うが、なにごとも差許してやるよう」
と遺言した。
一豊の遺骸は、荼毘に付して月輪山に殯り、大通院心峰伝大居士と諡号した。……一家中の悲歎は云うまでもなく、大阪の豊家や、遠く徳川家からも弔問の使が来たりして、七七忌までの法会は盛大を極めたものであった。
かくて百日忌の時である。
二代忠義が法会に参ずるため、行列を真如寺に向って進める途中、堵列していた土民たちの中から供先へ生魚を抛った者があった。……仏事に生魚を抛つ。それでなくとも日頃から忿懣を抑え兼ねていた家臣たちは、この乱暴を見て嚇怒し、
「狼藉者を逃がすな」
「邪魔する者は斬ってしまえ」
と勢い立ち、すぐに乱暴者をひっ捕えた。