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ゆうもやのなか

夕靄の中

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1952(昭和27)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,522 字 · 19 页

青空文庫

夕靄……が濃くなって、墓地の向うはおぼろにかすんでいる。男の姿はその靄の中へと、静かに消えていった。

「あの人はまあなにを勘違いしたんでしょう」

老女はこう云って太息をついた。

「似ていた私が悪いんですよ」彼はなだめるように云った、「――貴女がいて呉れたので、早く疑いが解けて助かりました、しかしああいう職の人間にしては、思い遣りのありそうな人でしたね」

解放されたように、気が楽になった。桐生から此処へ来るまでの、どす黒い、歪んだ感情。泥まみれに汚れた途の、すぐ脇に、こういう静かな、無事な世界があった。そのつもりなら、いま云われたように、この老女を伴れて桐生へ帰ることもできる。

――そいつはあんまりきざだ。

そして、幾らか不自然でもあるがそうすることができれば、自分も仕立職としておちつくことができるかもしれない。

「暮れてきましたね」彼は阿迦桶を持ちながら云った、「――帰るとしましょうか」

「あら、それはわたくしが」

「いいえ私が持ちます、ついでにお宅まで送ってゆきますよ」

なにか云いたそうな老女の背へ、彼はそっと手をかけ、劬るように並んで、歩きだした。……夕靄をゆすって、鐘が鳴り始めた。