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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
従僕に英雄なしというゲーテの言葉ならずとも、傍にいるものには、いかなる傑物も凡人に見える作用をここでもしている。一里ごとに変っている和尚の自由な行動に対する世間の批評は、円周の外波の響ほど真実であるか。人は死ねば、その彼の伝うる響は、距離とは違い、時とともにまた異なるだろうが、結局、人の存在価値は、傍にいても分らなければ、外にいても分らない。時たってもまた同様だ。小空、中空、大空、空空、無空、というような言葉は、徹底するとついに天上天下唯我独存、(尊ではない)存すというところに落ちつくのも、菅井和尚の釈迦堂の釈尊の首一個の存在がよく語っているようだ。そういえば、釈迦が天上天下唯我独尊と唇から発した日は、十二月八日だった。太平洋戦争も同一の日だが、まもなくその日はやって来る。
十一月――日
預金帳が無事に着いた。四月から半年以上も行衛不明で、東京の銀行の方を調べて貰うと、銀行の女事務員が今まで握り潰していたということが判明した。何事にも腹を立てないということは、要するに堕落しているのだ。しかし、どこへも私は怒りようがない。せめて家族の者を温泉へでもつれて行ってやりたくなって、急にこの日の土曜を利用し温海へ行くことにした。