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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
こんなに諸藩から江戸の邸へ向けて大砲を運ぶことも、その日までなかったことだ。
間もなく尾張の家中衆は見えなかった。しかし、不思議な沈黙が残った。その沈黙は、何が江戸の方に起こっているか知れないような、そんな心持ちを深い山の中にいるものに起こさせた。六月以来頻繁な諸大名の通行で、江戸へ向けてこの木曾街道を経由するものに、黒船騒ぎに関係のないものはなかったからで。あるものは江戸湾一帯の海岸の防備、あるものは江戸城下の警固のためであったからで。
金兵衛は吉左衛門の袖を引いて言った。
「いや、お帰り早々、いろいろお骨折りで。まあ、おかげでお継立ても済みました。今夜は御苦労呼びというほどでもありませんが、お玉のやつにしたくさせて置きます。あとでおいでを願いましょう。そのかわり、吉左衛門さん、ごちそうは何もありませんよ。」
酒のさかな。胡瓜もみに青紫蘇。枝豆。到来物の畳みいわし。それに茄子の新漬け。飯の時にとろろ汁。すべてお玉の手料理の物で、金兵衛は夕飯に吉左衛門を招いた。
店座敷も暑苦しいからと、二階を明けひろげて、お玉はそこへ二人の席を設けた。山家風な風呂の用意もお玉の心づくしであった。