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だいぼさつとうげ
大菩薩峠
中里 介山
37 恐山の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 254,021 字 · 495 页
六十九
お銀様が、こうして夜更けるまで手紙を書いていると、長浜の町の一角から、犬の遠吠えが聞えました。
犬の遠吠えというのはさして珍しいことではないが、その遠吠えを聞くと、お銀様が筆を机の上にさし置いて、そうして耳を傾けました。
思いの外、夜は更けている。時計というものはないから確とは言えないけれども、夜半を過ぎていることは疑いない。一通の手紙を書くために、どうしてこんなに時間を取られたろうと思うほどでした。巻紙を翻して見るとなるほど――書きも書いたり、長浜見学の印象から、太閤時代の歴史から、人物から、かなり細々と認めたものだと思い、更にそれを巻き直しながら、耳を澄ましていると、犬の遠吠えが追々に近くなるのに気づきました。
それは、最初に吠え出した一箇の犬そのものが、影を追うてこちらに近づきくるのではなく、一箇の犬が物におびえて遠吠えを試みると、それから次々に影を見ない犬までがその声を迎えて吠えつぐものですから、それで遠吠えが次第次第に近くなって来るというわけなのです。
ちょうど、宿つぎに犬が鳴き渡っているようなもので、すべて眠りに落ちている町の人は、誰も気づきませんけれど、お銀様だけが、長い手紙を書きながら、その鳴きつれる犬の声に耳を傾けておりました。