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てんさいけいまい
天才兄妹
野村 胡堂
「少女倶楽部」1928(昭和3)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,891 字 · 20 页
パッと振り上げたヴァイオリン、三万円の名器を柱に叩き付けようとする手に、信子は必死と縋り付いて、
「あれ、お兄様、そんな事をなすってはいけません。大急ぎで家から平常使い慣れたヴァイオリンを取り寄せて、今日は兎も角プログラムだけはなさらなければ――」
晴衣の紋付の袖も厭わず、涙は潜々として溢れ落ちます。
「エッ、どうともなれ、俺の名も、芸術も、何も彼もおしまいだ、この演奏会がすんだら、すぐ又ドイツへでも飛んで行こう――もう日本へ帰らない積りで――」
幾久雄は椅子の中へ埋まって、しばらくは涙も出ないような恐ろしい絶望のドン底に沈んでしまいました。
「どうした、どうした」
いきなり入って来たのは、逞ましい様子をした、幾久雄と同年輩の青年。
「何んという事だい、君があんなに下手だとはどうしても信じられない、一体どうしたのだ」
椅子の側に寄って幾久雄の肩に手をかけます。
「香椎さん、兄さんはもう演奏を止して帰るって言うんです、何うしましょう」
「何? 演奏を止す、そんな馬鹿な事が出来るものじゃない、プログラムだけはやらなければ、君は嘘を吐いた事になる――君はストラドヴァリウスを手に入れて、今日はそれをひいて居るという噂だ、本当かいそれは」