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おううほくぶのせっきじだいぶんかにおけるこだいシナぶんかのえいきょうについて
奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
喜田 貞吉
「民族 第二巻第二号」1927(昭和2)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,885 字 · 20 页
案ずるに、この島国の住民にして、古くシナと交通したものは、記録の上からは『漢書』以下に見ゆる倭人をもって初めとする。漢の武帝朝鮮を征して楽浪以下の四郡を置いてから、倭人の交通が始まったというのである。年代は今より約二千年以前で、その交通は魏の時代までも引続いて行われ、漢魏の文化がこれによって少からず我に伝えられたことは、遺物の上からでも立派に証明せられるのである。漢代の銅剣、それに倣って、あるいはそれに新意匠を加えて、わが島国で作ったと解せられる銅剣・銅鉾の類、またその銅剣の形を模したと思われる石剣、漢魏時代の鏡鑑、それに倣ってわが島国で作ったと解せられるいわゆる漢式鏡等、その他シナ古代文化の遺品、またはその影響を受けたと思われるものの、少からずこの島国で発見せられることは、古書の記事と相俟って、もはや何人も異論なきところである。しかもその交通者は、主として九州方面の住民であったがために、銅剣・銅鉾のごときも、多くこの方面に限って発見せられ、近畿以東には及ばなかった。大和朝廷とシナとの交通が直接に開かれたのは、わが国ではほぼ応神天皇の御代のころ以後で、シナでは東晋末以降、宋・斉等、南朝の諸国であった。