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ようえい
妖影
大倉 燁子
「オール読物」文芸春秋、1934(昭和11)年9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,489 字 · 22 页
時計を出してみた。「ホウ、もう一時だ!」
私は立ち上って続けさまに欠伸をしながら、両手を高く伸した。そのついでにチョッキの上から自分の胴中をちょっと触ってみた。出発以来これが癖になってしまって、日に何度となくやる。大切な暗号を胴中に巻いているのだもの。任地に着いて無事にそれを手渡しするまでは安心がならない、従って責任はなかなか重く少しの油断も出来ないのだ。我々の生活は旅行中だけが呑気で極楽だのに、その旅行中さえこんなに緊張していなければならないなんて、考えてみると情けなくなっちまう。好きなダンスもやれないし、バアへ行くのも差控えているのだ。三十歳の若さだのに、と私は急に詰らなくなった。
私は舌打ちしながら階段を降りかけて、何気なく後を振り返ると、いつの間に上って来ていたのだろう。甲板の欄干にもたれて、先刻のお嬢さんが連れもなくたった一人で、月を眺めながら物思いに沈んでいる。この夜更に、あんな病人がとちょっと妙な気がしたが、そのまま立ち去るに忍びず、少時その後姿を眺めていた。
翌日はいつになく早く眼が覚めた。昨夜は妙な夢を見た。キャビンの丸い窓の真中に、ぽっかり五十銭銀貨ほどの眼がたった一つ現われた。