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むすめ

娘

岡本 かの子

「婦人公論」1939(昭和14)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,846 字 · 16 页

青空文庫

親切で厳しく、大事な勝負には一しょに嘆いたり悦んだりして呉れる。艇を並べて漕ぎ進む。すると松浦は微笑の唇に皮肉なくびれを入れ乍ら漕ぎ越す。擬敵に対する軽い憎しみはやがて力強い情熱を唆って漕ぎ勝とうと彼女を一心にさせる。また松浦が漕ぎ越す。一進一退のピッチは軈て矢を射るよりも速くなっても、自分には同じ水の上に松浦の艇と自分の艇とが一二メートルずつ競り合っているに過ぎない感じだ。精神の集注は、彼女を迫った意識の世界へ追い込む。両岸、橋、よその船等、舞台の空幕のように注意の外に持ち去られる。ひょっとして競漕の昂揚点に達すると、颱風の中心の無風帯とも見らるべきところの意識へ這入る。ひとの漕ぐ艇、わが漕艇と意識の区別は全く消え失せ、ただ一つのものが漕いでいる。無限の空間にたった一つの青春がすいすいと漕いでいる。いつの頃から漕ぎ出したか、いつの頃には漕ぎ終るか、それも知らない。ただ漕いでいる。石油色に光る水上に、漕いでいる。

ふと投網の音に気が逸れて、意識は普通の世界に戻る。彼女はほっとして松浦を見る。松浦も健康な陶酔から醒めて、力の抜けた微笑を彼女に振向けている。