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ふじんさっかはなぜどうとくかか? そしてなぜおとこのびがえがけぬか?

婦人作家は何故道徳家か? そして何故男の美が描けぬか?

宮本 百合子

「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房、1953(昭和28)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,725 字 · 4 页

青空文庫

云わずしてすぎる。見ずしてすぎるという高踏派的態度は実は「無力」の粉飾なのである。

プレハーノフの女弟子、ソヴェト同盟のマルクス主義機械論的修正派の最も有名な代表者アクセリロードは、「トルストイの創作を批評するのにもスピノザの哲学を分析する際にも、彼女は永久不変の道徳法から出発している。彼女は、新カント派と多くの論戦を交えたが、弁証法を軽視し、その思惟が機械的だったことは、結局道徳律の問題において彼女を敵の陣営――彼女が一生涯それらと闘ったその敵の陣営に導いた。」

大体思索し得る女流の間に道徳家が多いのは何故であろうか。これこそブルジョア文化の内的矛盾のバクロ以外の何ものでもない。

ブルジョア文化は、その階級的特性によって、文学哲学の如く高度に発展した形態にあってはごく僅かのブルジョア・インテリゲンツィア婦人しか包括し得ないと同時に、それらの彼女らは謂わばブルジョア文化の精華として多分に、ブルジョア観念論的世界観に毒されたものを持っている。

しかもブルジョア社会文化は、いかに表面を種々様々の花束・手套・行儀作法でとりかざろうとも、本質において男尊女卑であり、婦人の性はその特殊性をも十分晴れやかにのばし得る形態において同位ではない。