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いえ

家

島崎 藤村

01 (上)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,748 字 · 254 页

青空文庫

日暮に近い頃、三吉は自分の住む町へ入った。家の草屋根が見える辺まで行くと、妙に彼の足は躊躇した。平素とは違って、わざわざ彼は共同の井戸のある方へ廻道して、日頃懇意な家の軒先に立った。別に用事も無いのに、しばらくそこで近所の人と立話をした。その日の空模様では浅間登山の連中もさぞ困るであろうなどと話し合った。ちらちら燈火の点く頃に、三吉はブラリと自分の家へ帰った。

こんな風に、断なしで外出した例は三吉に無いことであった。直樹は山の上で一夜を明す積りで出掛けたので、無論夕飯には帰らず、夫婦ぎりで互に黙ったまま食卓に対って食った。妻の気を悪くした顔付を見ると、三吉は話して差支の無いことまで話せなかった。

夕飯の後、お雪は尋ねた。

「曾根さんは未だ居らっしゃいましたか」

この問には、三吉は酷く狼狽したという様子をして、咽喉へ干乾び付いたような声を出して、

「私が知るものかね、そんなことを」

と思わず知らずトボケ顔に答えた。三吉はウソを吐かずにはいられなかった。そのウソだということを自分で聞いても隠されないような気がした。

その晩、夫婦の取換した言葉は唯これぎりであった。