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いえ
家
島崎 藤村
01 (上)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,748 字 · 254 页
こういう話をしているところへ、宿の下婢が船の時間を知らせに来た。東京の方へ出る汽車が有ると見えて、宿を発って行く旅人も有った。
「汽車が出るそうな」とお種は聞耳を立てた。「丁度好い――この汽車に乗らっせるが可い」
「伊東まで行く思をして御覧な」と達雄は言った。「なにも、そんなに周章てなくても好い。汽車はいくらも出る」
「でも、貴方は、一日を争う身だなんて仰っていらしったで……それほど大切な時なら、一汽車でも早く東京へ入った方が好からずと思って」
「まあ、船までお前を送ってやるわい」
多忙しがっている人に似合わず、達雄はガッカリしたように坐って、復た煙草を燻し始めた。何となく彼は平素のように沈着いていなかった。
停車場の方では、汽車の笛が鳴った。達雄は一向それに頓着なしで、思い屈したように、深く青い海の方を眺めていた。
そのうちに、伊東行の汽船の出る時が来た。夫婦は宿を出て、古い松並木の蔭から海岸の方へ下りた。細い砂を踏んで、礫のあるところまで行くと、そこには浪が打寄せている。旅人の群も集って来ている。艀に乗る男女の客は、いずれも船頭の背中を借りて、泡立ち砕ける波の中を越さねば成らぬ。