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ふじ

富士

岡本 かの子

「文芸」1940(昭和15)年11月号~1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 40,579 字 · 82 页

青空文庫

冬ごもり時しも、旨飯を水に醸みなし客を犒う待酒の新酒の味はよろしかった。娘はどこからしても完璧の娘だった。待酒を醸む場合に、女はまずその最初の杯の一杯を、社に斎き祭ってある涙石に捧げた。それは祖父の山の祖神が命終のとき持てりしものの唯一の遺身の品とされていた。

年頃になって、完璧の娘で、それでいて女に男の縁は薄かった。異性にしていい寄る恰好をするものもあるが、それは単に年頃にかかる娘への愛想か、岳神の総領娘に対しての敬意を変貌させたようなもので、恰好だけに過ぎなかった。もとより女自身からは乗り出せない。そういう触手は亀縮んでいる。双親を通して申込まれる山々からの縁談も無いことはないのだが、ぜひ自分でなくてはと望むらしい熱意ある需めとは受取れなかった。良山良家の年頃の娘でさえあれば、一応、口をかけて問合わされる在り来りのものに過ぎなかった。双親はまた、自分たちの眼からしてたいしたものに思い做している娘を、滅多な縁談にやれないといい張った。相手の山や岳神を詮議して、とかくそれ等に不足を見付け出した。娘の婚期は遅れて来た。双親は負け惜しみもあり、なに、それなら、水無瀬は筑波の岳の跡取にして、次の代の筑波は女神、女族長でやらして行くといっている。