轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

こばやしたきじのこんにちにおけるいぎ

小林多喜二の今日における意義

宮本 百合子

「小林多喜二全集月報」第二号、1949(昭和24)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,690 字 · 4 页

青空文庫

一九四五年の無条件降伏によって、一応ファシズム権力は退場したように見えた。けれども日本の社会の実質がどれほどファシズムの無思想性と反歴史性に毒されているかという証拠は、民主主義運動と同時に、一部の人々が精力的に小林多喜二の生涯と文学に対して、歴史的基準のない「批判」を横行させた事実に見られる。この三年間に、反小林多喜二の慣用語として、主体性を云い、人民的民主主義の方向を抹殺して、個人を云い自我を云いたてた人々は、現在、その人々の目にもあきらかなように、反動的農民組合の分派が、自分たちを主体派とよび、労働組合の分裂工作が民主化同盟とよばれていることについて、どんな感想を与えられているだろうか。

小林多喜二の生涯と文学とは、民主主義陣営の間においてさえも、まだ全面的な正常さでうけとられていると云えない。それは、最近行われた「小林多喜二的身構え」という言句をめぐる論争の性格を検べて見てもよくわかる。小林多喜二は人民解放史と文学史との上にうけとられているというより、もっと生々しく、現代の心理のなかに生きている。不幸にして、その心理は、日本人民がファシズム権力にひしがれつづけて来た被抑圧的屈従の複雑なコムプレックスをふくんでいる。