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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

今に見ろ、今に見ろ!

眼をつぶりながら、震えていた。

六

三月の半ばに、順造は竜子の妊娠を知った。

彼女は頭が重く痛いと云ってぶらぶらしていた。食慾が非常に減じた。総毛立った蒼い顔色をして、何をやり出してもすぐに放り出し、眉根をしかめて黙り込んでいた。朝は遅くまで寝て、晩は早く床にはいった。うっとり夢みるように考え込んでるかと思うと、急に眉根をしかめて苛ら立った。白粉の匂いを嫌がって、蒼脹れのした穢い素顔のままでいた。そして或る朝、食後間もなく、食べた物を皆吐いてしまった。順造は漠然とした不安を覚えた。腹膜炎! そういう考えが真先に浮んだ。医者に診せてごらんと切りに勧めた。然し彼女はそれに従わなかった。診て貰っても無駄だと頑張った。二度目に食物を吐いた時、順造は叱りつけた。医者の家へ行かなければ、僕が医者を呼んで来てやる、とまで云った。

「病気ではございません。」と彼女は答えた。

「ではどうしたんだい。」

彼女は暫く考えていたが、低い声で云った。

「悪阻のような気がします。」

「え、悪阻!」

順造は飛び上らんばかりに驚いた。

「本当かい?」

「ええ、屹度そうに違いありませんわ。