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にわのついおく

庭の追憶

寺田 寅彦

「心境」1934(昭和9)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,434 字 · 7 页

青空文庫

しかし父の死後に家族全部が東京へ引き移り、旧宅を人に貸すようになってからいつのまにかこの楠は切られてしまった。それでこの「秋庭」の画面にはそれが見えないのは当然である。しかしそれが妙に物足りなくもさびしくも思われるのであった。

次に目についたのは画面の右のはずれにある石燈籠である。夏の夕方には、きまって打ち水のあまりがこの石燈籠の笠に注ぎかけられた。石にさびをつけるためだという話であった。それからまた低気圧が来て風が激しくなりそうだと夜中でもかまわず父は合羽を着て下男と二人で、この石燈籠のわきにあった数本の大きな梧桐を細引きで縛り合わせた。それは木が揺れてこの石燈籠を倒すのを恐れたからである。この梧桐は画面の外にあるか、それとももうとうの昔になくなっているかもしれない。

画面の左上のほうに枝の曲がりくねった闊葉樹がある。この枝ぶりを見ていると古い記憶がはっきりとよみがえって来て、それが槲の木だとわかる。ちょうど今ごろ五月の節句のかしわ餅をつくるのにこの葉を採って来てそうしてきれいに洗い上げたのを笊にいっぱい入れ、それを一枚一枚取っては餅を包んだことをかなりリアルに思い出すことができる。