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にわのついおく
庭の追憶
寺田 寅彦
「心境」1934(昭和9)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,434 字 · 7 页
この絵に対する今の自分の心持ちがやはりいくらかこれに似ている。はじめ見た瞬間にはアイデンチファイすることのできなかった昔のわが家の庭が次第次第に、狂っていたレンズの焦点の合ってくるように歴然と眼前に出現してくるのである。
このただ一枚の飛び石の面にだけでも、ほとんど数え切れない喜怒哀楽さまざまの追憶の場面を映し出すことができる。夏休みに帰省している間は毎晩のように座敷の縁側に腰をかけて、蒸し暑い夕なぎの夜の茂みから襲ってくる蚊を団扇で追いながら、両親を相手にいろいろの話をした。そのときにいつも目の前の夕やみの庭のまん中に薄白く見えていたのがこの長方形の花崗岩の飛び石であった。
ことにありあり思い出されるのは同じ縁側に黙って腰をかけていた、当時はまだうら若い浴衣姿の、今はとくの昔になき妻の事どもである。
飛び石のそばに突兀としてそびえた楠の木のこずえに雨気を帯びた大きな星が一ついつもいつもかかっていたような気がするが、それも全くもう夢のような記憶である。そのころのそうした記憶と切っても切れないように結びついているわが父も母も妻も下女も下男も、みんなもう、一人もこの世には残っていないのである。