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かげのないはんにん

影のない犯人

坂口 安吾

「別冊小説新潮 第七巻第一二号」1953(昭和28)年9月15日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,032 字 · 23 页

青空文庫

ちかごろは鏡を見るのがタノシミだ。ためつすがめつ鏡を見たくて仕様がなかった。どこがどうということもないが、どこを見ても満足であった。自分自身のあらゆる部分が一切合財、鏡で再認識することによって、ただもう満足で仕様がない。しかるに旅館開業どころか、この邸内から追んだされるかも知れないというから、玄斎が神蔭流の奥儀に反して驚倒したのは仕方がなかった。ミズミズしい老体もムザンに打ちしおれて、

「実に狂六先生とも思われぬ重大なる失言でしたなア。しかし、狂六先生は新時代を深く理解せられ、また新時代の方も狂六先生を理解している如くでありまするから、どうぞ、先生、お助け下さい」

「ハ? お助けするんですか、ワタシが? 変なことを云うなア、剣術の先生は。アナタちかごろ、ちょッと変じゃないですか。奥さんが云ってましたぜ。日に二三十ぺん鏡を見ているそうじゃないですか」

「イエ、それは武道の極意です」

「ハア、鏡を見るのが、ねえ」

「諸神社の御神体も概ね御神鏡が多いものですが、鏡も玉も剣も一体のものです。これが武術の極意でして、ワタクシが老来若返りまするのも、即ちこの三位一体によって……」