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おもいでぐさ
思い出草
岡本 綺堂
「木太刀」1910(明治43)年11月、1911(明治44)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,303 字 · 11 页
これもそれと似寄の話で、やはり十七年の秋と思う。わたしが父と一所に四谷へ納涼ながら散歩にゆくと、秋の初めの涼しい夜で、四谷伝馬町の通りには幾軒の露店が出ていた。その間に莚を敷いて大道に坐っている一人の男が、半紙を前に置いて頻に字を書いていた。今日では大道で字を書いていても、銭をくれる人は多くあるまいと思うが、その頃には通りがかりの人がその字を眺めて幾許かの銭を置いて行ったものである。
私らもその前に差懸ると、うす暗いカンテラの灯影にその男の顔を透して視た父は、一間ばかり行き過ぎてから私に二十銭紙幣を渡して、これをあの人にやって来いと命じ、かつ与ったらば直に駈けて来いと注意された。乞食同様の男に二十銭札はちと多過ぎると思ったが、いわるるままに札を掴んでその店先へ駈けて行き、男の前に置くや否や一散に駈出して来た。これに就ては、父は何にも語らなかったが、恐らく前のおでん屋と同じ運命の人であったろう。
この男を見た時に、『霜夜鐘』の芝居に出る六浦正三郎というのはこんな人だろうと思った。その時に彼は半紙に対って「……………茶立虫」と書いていた。上の文字は記憶していないが、恐らく俳句を書いて居たのであろう。