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おもいでぐさ
思い出草
岡本 綺堂
「木太刀」1910(明治43)年11月、1911(明治44)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,303 字 · 11 页
また、その頃のことで私が能く記憶しているのは、道路のおびただしく悪いことで、これは確に今の方がいい。下町は知らず、我々の住む山の手では、商家でも店でこそランプを用いたれ、奥の住居では大抵行灯を点していた。家に依ては、店頭にも旧式のカンテラを用いていたのもある。往来に瓦斯灯もない、電灯もない、軒ランプなども無論なかった。随って夜の暗いことは殆ど今の人の想像の及ばない位で、湯に行くにも提灯を持ってゆく。寄席に行くにも提灯を持ってゆく。加之に路が悪い。雪融けの時などには、夜は迂濶歩けない位であった。しかし今日のように追剥や出歯亀の噂などは甚だ稀であった。
遊芸の稽古所というものも著るしく減じた。私の子供の頃には、元園町一丁目だけでも長唄の師匠が二、三軒、常磐津の師匠が三、四軒もあったように記憶しているが、今では殆ど一軒もない。湯帰りに師匠のところへ行って、一番唸ろうという若い衆も、今では五十銭均一か何かで新宿へ繰込む。かくの如くにして、江戸子は次第に亡びてゆく。浪花節の寄席が繁昌する。
半鐘の火の見梯子というものは、今は市中に跡を絶ったが、私の町内――二十二番地の角――にも高い梯子があった。