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にほんのみんしゅうと「にほんてきなるもの」

日本の民衆と「日本的なるもの」

戸坂 潤

「改造」1937(昭和12)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,821 字 · 18 页

青空文庫

文壇と一部の評論壇では、一口で云うと「日本的なるもの」の検討が風をなしている。私がこう口を切ると、そら公式主義者が「日本的なるもの」にケチをつけようとするものだ、と推量する周章者も少なくないかも知れないが、そう注文通りには行かないのである。併し公式主義という評語はすでにあり公式主義的に使い古された、何とかもう少し利き目のある評語を考え出すことが必要だろうと思う。それが考え出せぬとすれば、公式主義呼ばわりは、犬の遠ぼえのようなものと云わざるを得まい。

だが何はともあれ、私は今、公式主義者ではないのだ。なぜなら私は今、諸君と一緒に、正に「日本的なるもの」を探究しようとしているのだからである。ただその視角が、その力点が、諸君と多少違うかも知れない。そしてそこが勿論私の要点をなすのである。

話しを少し別な一見遠い処から始めよう。私はかつての道徳の概念を論じて、社会科学的な道徳の概念と文学的な道徳の概念とを区別したことがある。前者は道徳律や良心や人倫的習俗として、社会の上部機構の形で現実に存在する道徳現象のことであり、実在的な範疇としては、之が最も科学的な道徳概念なのである。