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にほんのみんしゅうと「にほんてきなるもの」
日本の民衆と「日本的なるもの」
戸坂 潤
「改造」1937(昭和12)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,821 字 · 18 页
自我は自我をつき放し、自我を超克するという、誰しもやっている一つの活動が、説明出来ることにもなる。
だがこう云っただけでは、話しはまだ少しもプロレタリア的文学の特性に触れては来ない。ブルジョア的文学だって、私小説是非の問題をめぐって、今はここまでは来ている。で私がかつて発表した道徳論が批難されるとすれば、欠陥は正にここにあったのだ。之だけでは文学の唯物論的な特性を検出するに足りないという点にある。文芸的認識機能の一環としての、文学に於ける自我なるものが、何かまだ全く一般的な抽象的なものに止まっている。文学に役割を持つ自我と雖も、否この自我こそは、どこか天上から降って来たものではあり得ない筈で、現実の社会に生きている個人の自我から文芸的認識が自分の手段として抽出したものだった筈だからだ。
この自我は意識一般や純粋我などではない。今までのブルジョア認識論は文芸的(乃至芸術的)認識を認識として考えても見なかったので、自我はこのような一般的なものに止まり得そうに思われたのだが、科学的認識に於ても、仮にもしこの種の観念論的認識に従って意識の独立な能動性から認識を説明するとすれば、恐らくそんな一般的なものでは困るだろう。