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にほんふどうき

日本婦道記

山本 周五郎

松の花

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,743 字 · 22 页

青空文庫

かれはそのままそっと廊下へ戻った、すると、格之助が居間からあらわれた。

「あの者たちに夜食をだしてやれ」

藤右衛門はそう云って書斎へかえった。

葬儀はその翌日におこなわれ、なきがらは城西の金竜寺にほうむられた。式のしだいは質素であったが、藩侯から特に使者がつかわされたりして、思いがけなくも名誉なものになった。ほうむりの日の朝から、藤右衛門は書斎にこもって「松の花」の校閲をつづけだした。それまで身のまわりの世話は格之助の嫁にさせていたが、それをやめて松田吉十郎という若侍のうけもちにした、そして食事もずっと書斎へはこばせ、藩譜編纂の用務のある者のほかにはほとんど客に会わなかった。夜ごと、夜ごと、燭のしたで朱筆をとっている彼の耳に母屋の方で音をしのばせて看経する人声がかすかに聞えた。――またあの女房どもか、はばかりがちな低い声でそれは直ぐわかった。またしじまのおりには、庭むこうの家士長屋の方からも、むせぶような念仏の声のつたわって来ることがあった。どちらも遠くへだたったところから途切れ途切れに聞えて来るのだが、その声には肺腑をしぼって哭くものの底知れぬなげきがこもっていた。