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にほんふどうき

日本婦道記

山本 周五郎

松の花

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,743 字 · 22 页

青空文庫

家中の人々はそう云って舌を巻いたが、藤右衛門はそれほどにも考えず、自分の家計としてはごくあたりまえだと思っただけであった。そういう例はすくなくない、藩の御勝手つごうで食禄のわたらぬことがつづくとか、非常な物価昂騰とか、百人に近い家士たちのために、年々更新しなければならぬ武具調度の費用とか、ほとんど不時の出費のたえることはないといってよかった。それを佐野家ではきわめてぶじにすごして来た、藤右衛門はどんなばあいにも心を労することなく、うちこんで御奉公をすることができたのである。そして今日まで、それをあたりまえなこととして、誰のたまものとも考えることはなかったのだった。

「なんという迂濶なことだ。なんという愚かな眼だ。自分のすぐそばにいる妻がどんな人間であるかさえ己は知らずにいた」

藤右衛門はおのれを責めるように呟いた。

「佐野の家があんのんにすごして来たのも、自分がぶじに御奉公できたのも、蔭にやすの力があったからではないか、こんな身近なことが自分にはわからなかった、妻が死ぬまで、自分はまるでちがう妻をしか知らなかったのだ」

いたましく皮膚の荒れた手ゆびと、あのように粗末な遺品をとおして、いまこそ藤右衛門にはまことの妻がみえはじめたのである。