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にほんふどうき
日本婦道記
山本 周五郎
おもかげ
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,412 字 · 25 页
幼ない彼は心をこめておもかげのひとにそう呼びかけるのだった。
雪の墓地で懐剣をつきつけられたときの恐ろしさと、夜の暗がりでまざまざと母のおもかげを見たこととが、幼弱な彼の心をはげしくふるい立たせた。自分でもうまれかわったような気持だった。そばにはいつも母のたましいがついていて呉れる、それが常に心の軸になっていた。叔母はその後もきびしかった。なにかあるとすぐにあなたは世間のお子とは違うのですよと云う。
「あなたにはお母さまが無いのですからね、人と同じことをしていたのでは『母親が無いから』とすぐに云われます、武士の子がそんな蔭口をきかれるのは恥ですからね」
弁之助はおとなしく「はい」と答える。然しもう決してあまえるような眼では叔母を見ようとしない、眉つきにも、ひき結んだ口許にも、子供には稀な意志のあらわれといった感じがみえ、これまでのようにたやすく話しかけることもなくなっていった。……春が来て雪が消えると、学塾からの帰りに彼はよく平等院へまわって母の墓をおとずれた。時刻に遅れると叔母に叱られるので、いつもほんの僅かしかいられなかったが、墓標の前に跼んで合掌しながら、口のなかで色いろ母に話しかけたり、途中で折って来た木の枝をしたりしていると、かなしいほどたのしく心うれしい感じだった。