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にほんふどうき
日本婦道記
山本 周五郎
糸車
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,187 字 · 24 页
「父上」
と、叫びながら松之助が走せいって来た。稽古から帰って、表で二人のはなすのを聞いていたのだろう、眼にいっぱい涙を溜めながらはいって来ると、姉とならんでそこへ坐り、なかば噎びあげながらこう云った、
「どうぞ姉上を家に置いてあげて下さい、父上、こんなに仰しゃっているのですもの、どうかよそへは遣らないで下さい、おねがいです」
啓七郎は眼をつむり、蒼ざめた面を伏せ、両手を膝に置いてじっと黙っていた。それは大きなするどい苦痛に耐える人のような姿勢だった。そしてながいこと、お高と松之助との噎びあげるこえだけが、貧しい部屋の壁や襖へしみいるように聞えていた。
「……では家にいるがよい」
啓七郎がやがて呻くようなこえでそう云った、
「西村どのへは父から手紙を書く、もう松本へは遣らぬから」
松之助は姉の膝へとびつき、涙に濡れた頬をすりつけながら声をあげて泣きだすのだった。
爽やかな朝の日光が、明り障子いっぱいにさしつけている、いかにも春らしく、心を温められるような明るさだ。お高の繰る糸車の音が、ぶんぶんと、そのうららかな朝の空気をふるわせて聞えてくる、蜂の翅音にも似たしずかな、心のおちつく柔らかい音である。