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あらの

曠野

堀 辰雄

「改造」1941(昭和16)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,315 字 · 21 页

青空文庫

れても為方のないような――無性にさびしい気もちがするばかりだった。女にしてみると、こうして見出されるよりは、いままでのように誰にも気づかれずに婢としてはかなく埋もれていた方がどんなに益しか知れなかった。……

「己はおまえを何処かで見たようなふしぎな気がしてならない。」男はもの静かに言った。

女は相変らず袖を顔にしたぎり、何んといわれようとも、懶げに顔を振っているばかりだった。

館のそとには、時おりみずうみの波の音が忍びやかにきこえていた。

そのあくる夜も、女は守のまえに呼ばれると、いよいよ身の置きどころもないように、いかにもかぼそげに、袖を顔にしながら其処にうずくまっていた。女は相変らず一ことも物を言わなかった。

夜もすがら、木がらしめいた風が裏山をめぐっていた。その風がやむと、みずうみの波の音がゆうべよりかずっとはっきりと聞えてきた。おりおり遠くで千鳥らしい声がそれに交じることもある。守はいたわるように女をかきよせながら、そんなさびしい風の音などをきいているうちに、なぜか、ふと自分がまだ若くて兵衛佐だった頃に夜毎に通っていた或女のおもかげを鮮かに胸のうちに浮べた。