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つきとてぶくろ

月と手袋

江戸川 乱歩

「オール讀物」文藝春秋新社、1955(昭和30)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,541 字 · 80 页

青空文庫

とかいう小説があった。おれは読んだことがある。しかし、あれは口でごまかすだけだ。聴き手は病気で寝ている。それにありもしない出来事を、今見ているように話して聞かせるだけのことだ。実際には、あんな都合のいいことが出来るはずはない。「どれどれ」と云って、ベッドから起きて来て覗かれたら、おしまいじゃないか。だが、残念ながら、おれの名トリックは世間に見せびらかすことができない。小説にもシナリオにも、似たような筋さえ書くことが出来ない。昔から、最上最美のものは、世に現われないというのは、ここのことだて)

もう大丈夫だと安心すると、思いあがりの気持が、だんだん強くなって来た。彼の心から、若しもという危惧が、殆んど跡かたもなく薄らいで行った。

そんな或る日、つまり事件から一カ月余りたった或る日、この事件を担当していた警視庁の花田警部が、久しぶりでヒョッコリ訪ねて来た。花田は平刑事から叩きあげて、今は捜査一課に重要な地位を占め、実際の事件を手がけた数では、部内第一と云われていた。

二階の書斎に請じ入れると、背広姿の花田警部は、ニコニコして、ジョニー・ウォーカーのグラスを受けた。