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ほんちょうへんたいそうれいし
本朝変態葬礼史
中山 太郎
「犯罪科学 増刊号 異状風俗資料研究号」1931(昭和6)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,960 字 · 24 页
思ひ切りたる道なれど、今を限りの浪の上、さこそ心細かりけめ、三月の末の事なれば春も既に暮れぬ。海上遥かに霞こめ浦路の山も幽なり。沖の釣船の沈の底に浮き沈むを見給ふにも、我身の上とぞ思はれける。(中略)念仏高く唱へて、光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨と誦し給ひつゝ海にこそ入り給ひける』とあるのは、熊野で死ねば浄土に往かれると云う信仰が在ったためである。こうした信仰は長く同地を補陀洛渡海の解纜地としたのである。
鎌倉幕府の記録である吾妻鏡天福元年五月二十七日の条には、聴くも憐れな補陀洛渡海の事件が載せてある。それは同年三月七日の事であったが、熊野の那智浦に居た智定房と云う者が補陀洛渡海をした。この智定房とは誰あろう右大将頼朝の近臣河辺六郎行秀の成れの果てである。頼朝が下野の那須野ヶ原で狩猟をした折に、林の中から大鹿が一頭飛び出したのを頼朝が見つけ、六郎行秀を召して射て取れと命じた。武門の誉れと行秀は矢頃を計って鹿を射たが、天か時か、それとも行秀の業が拙なかったのか遂に射損じ、その鹿は小山四郎朝政の斃すところとなってしまつた。面目を失った行秀は狩場において薙髪し逐電して熊野に入り、ここで日夜とも法華経を読誦して、せめてもの後生を念じていたが遂にこの企てに及んだのである。